与那国島の海底遺跡はいつできたのか?


(カサカンジャーに続いて、地震学とは関係ないネタですけど・・・。)

1.はじめに

 沖縄県与那国島の海底にある奇妙な地形、海底遺跡は人工的に作られたのか自然にできたのかで議論が盛んにおこなわれています。ここでは海底遺跡のある新川鼻付近の海底地形を手がかりに、海底遺跡付近の地形がいつ、どのようにして形成されたのかを見てみます。


2.海底遺跡付近の地質

 与那国島は日本の最西端に位置しており、東西12km、南北4kmのひし形状の島です(図1)。島の最高点は231m(宇良部岳)で、丘陵地の多い地形をしています。
 島の基盤を成すのは今から2000万〜1500万年前にできた堆積岩(八重山層群)です。これは浅海で堆積した砂泥が固結したもので、島全体に分布しています。また百数十万年前以降、与那国島ではサンゴ礁が発達しました。これが地殻変動によって隆起し、八重山層群を覆っています(琉球石灰岩)。
 海底遺跡付近には、八重山層群の岩石が露出しています。
与那国島の地図
図1 与那国島の地図。★は海底遺跡の位置。陸上地形は国土地理院50mメッシュデータを、海底地形は海上保安庁海洋情報部の地形データを使用。


3.海底遺跡付近の海底地形

 海底遺跡は島の南端、新川鼻の沖50mのところに位置しています(図2)。この新川鼻付近の地形断面図を見てみます(図3)。新川鼻の北側は標高60〜80mの丘陵地になっています。新川鼻は標高差60mの断崖になっており、崖下は海岸です。新川鼻の南では、水深20mまでは南に緩やかに傾斜する地形(傾斜角5°)が約250m続いています。水深20m以深は傾斜角13°で水深300mまで一気に深くなっています。

 このように、海底遺跡のある場所は新川鼻の南にある水深20mの平坦面に位置しています。
新川鼻付近の地形図。海底遺跡付近。
図2 新川鼻付近の地形。★は海底遺跡の位置。
海底遺跡付近の南北断面図
図3 新川鼻を通る南北地形断面図。上下方向と水平方向の縮尺比は4:1(高さを4倍拡大している)。点線は海岸侵食前の地形断面(推定)。


4. どのようにしてできたのか?

 水深10〜20mの平坦面は日本列島各地の岩石海岸でよく見られます。この地形は海食台と呼ばれ、海岸が侵食によって削られたためにできたものです。

 海岸では波浪による侵食または堆積が起こります。岬のように山地が海にせり出した場所では、波浪によって年間数cmから数十cmの割合で海岸が侵食されています。波浪によって岬は侵食され、海面下に没します。海面下でも波浪の影響で侵食され、水深十数m以浅に平坦面を作ります。これを海食台といいます。(潮間帯にできる平坦面は、波食だな)

 新川鼻の南側にある平坦面は、昔南に伸びていた新川鼻が侵食されてできた部分なのです。ということは、海底遺跡の場所は新川鼻の海岸侵食によって誕生したことになります。


5.いつできたのか?

 では、この侵食はいつ起こったのでしょうか?
 日本列島の場合、水深数十mまでの平坦面は今から1万年前以降形成されたと考えられています。これは最終氷期が1万年前に終了して海水面が上昇したのに伴い、波浪による侵食が進行したためです。特に、水深20mより浅いところの平坦面は現在とほぼ同じ海水準に達した6000年前以降にできたと考えられています(図4)。

 最近6000年間の日本列島各地の岩石海岸の浸食速度を調べた結果によると、海底遺跡を作っている岩石と同年代の岩石(第三紀堆積岩)の海岸の侵食速度は6000年間で83〜830m(1000年あたり14〜140m)です(貝塚、1998)。これは新川鼻付近の海食台の幅(250m)となかなかよく一致しています。また、新川鼻付近は南側にさえぎるものが全く無いため、過去1万年間、現在と同じく強い波浪の支配下にあったと考えられます。

 これらのことから、新川鼻が侵食され、海底遺跡の場所が海底に露出したのは6000年前以降ということになります。
海岸侵食の様子
図4 海岸侵食の様子。


6.何が海底遺跡を作ったのか?

 6000年前以降、海底遺跡の場所は波による侵食作用がずっと働いています(ここでは触れませんが、化学作用による風化、生物による侵食も働いています)。侵食作用は海水面付近で最も大きく、水深10〜20mでも海水面付近の10分の1程度の侵食作用が働いています。ですから、海底遺跡の形状を作ったのは何かというと、素直に考えれば、波の力です。岩の割れ口が平面なのも、海底遺跡を作っている砂岩には亀裂が入っており、直角・平面に割れやすい性質を持っているからです(このような亀裂のことを節理といいます)。波浪の力で海食台の砂岩が亀裂に沿ってブロック状、シート状に剥離したためにあのような形状になったのです。

 ここでちょっと考えてみましょう。1万年前の人類が岩を加工して遺跡を作ったとします。その後海面上昇に伴い遺跡は少しずつ海面下に没してゆくわけですが、台風襲来時の波高(5m以上)、潮の干満(2mくらい)を考えれば、遺跡は相当長期間、少なくとも1000年くらいは波打ち際で侵食を受けたはずです。海岸が1000年あたり14〜140m後退するような侵食を受けながら、なぜ遺跡の形状が無傷のまま残ったのでしょうか?「人工的な」遺跡の形状は影も形も無くなっているはずです。

 人によっては、「海底遺跡の岩石は特に頑丈で浸食に強かったからだ」と考えるかもしれません。しかし侵食されないくらい頑丈ということは、�亀裂がない(亀裂は岩石強度を低下させる)、�緻密な岩石、という条件の両方を満たす必要があります。海底遺跡には節理が無数に入っているので�は無理です。�にしても、海底遺跡の岩石は千数百万年前の普通の砂岩であり、特に変な岩石ではありません。そもそもそんなに頑丈なら、昔の人だって任意の形に岩を成形できません。遺跡を作るのは不可能になってしまいます。

 要するに、「人間が加工できる岩なら波浪でも浸食できる。もし波浪で侵食できないくらい頑丈な岩であったとしたら人間は加工できない」ということです。


参考
発達史地形学(貝塚爽平著、東京大学出版会、1998)の5章と8章(海岸地形について書かれている)

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