1771年明和津波(八重山地震津波)はマグニチュード8の海溝型巨大地震であった
1771年に南西諸島南部の先島諸島で発生した明和の大津波(八重山地震津波)(注1)の断層モデルをこのたび再検討しました。この津波についてはこれまで様々な原因が提唱されてきました(注2)。津波の数値シミュレーションを行ったところ、琉球海溝で発生した海溝型巨大地震(マグニチュード8.0)であった可能性が高いことが判明しました。断層の大きさは、長さ150km、幅30〜50km、傾斜12度(北側へ傾斜)、すべり量は16mです。
これは琉球海溝でも海溝型巨大地震(注3)が発生した事を示した初めての事例です。これまで琉球海溝では海溝型巨大地震の発生可能性が低いと見られており、沖縄の地震津波防災対策上、またハザードマップ作成においても全く考慮されてきませんでした。
また、断層が海溝軸付近に分布していることは、明和の大津波が「津波地震」(注4)であったことを示しています。これは沖縄県の地震津波防災を考える上で今後非常に難しい問題になってきます。
明和の大津波の断層運動を横から見た断面図
新たに判明した明和の大津波の断層の位置。
(注1)明和の大津波(八重山地震津波)の概要
明和の大津波(八重山地震津波)とは、1771年4月24日に南西諸島南部の先島諸島で発生した地震およびそれに伴う大津波である。地震動被害そのものは少なかったとされている。しかし各諸島沿岸を大津波が襲った。石垣島南東岸から東岸では最大遡上高が30mに達した。多良間島から宮古島南部海岸にかけても遡上高は10m以上に達した。津波による死者は全体で約12000人に達し、宮古・八重山諸島に多大な被害を与えた津波災害であった。
(注2)明和の大津波の原因について
この津波の原因として、これまで様々な説が出されてきた。主なものとして
@ 断層運動(活断層)+海底地すべりの複合型
A 断層運動(活断層)
がある。しかしこれまで行われている海底調査から、200年前の海底地すべりによるものとみられるに地すべり堆積物が発見されていない。また、活断層の断層運動で津波を再現しようとすると、非常に大きな断層すべり量が必要となる。そのため、双方のモデルで大津波を再現するのは困難であった。
(注3)海溝型巨大地震
沈み込むプレートと陸側のプレートの間で起こる巨大地震のこと。南海地震(四国沖)や東海地震(東海地域)が典型的な例。
(注4)津波地震
地震の揺れは小さいものの大津波が発生する地震。日本での例としては1896年6月15日の明治三陸津波がある。この津波では沿岸での震度が2〜3であったが、大津波が発生、最大遡上高38.2m(綾里湾)、死者21915名の大惨事となった。この津波は海溝軸付近での大きな断層すべりが特徴である。